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第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレpart2

1 :ホルティ支持者:03/05/21 20:02 ID:2EhEq+OM
大好きだった東欧軍隊スレが死んじゃったので新スレを立てました。
いちおう前スレのアドレスを・・・
http//hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1025095466//

2 :名無し三等兵:03/05/21 20:03 ID:???
2げっとずざー

3 :名無し三等兵:03/05/21 21:33 ID:???
3

4 :名無し三等兵:03/05/21 22:06 ID:???
軍板で4をとったのははじめてだ

5 :名無し三等兵:03/05/21 22:07 ID:???
>>1
( ´,_ゝ`)プッ

6 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/05/21 22:53 ID:???
スレ立てお疲れです〜。
折角の一周年を前に無念の散華ですた。

過去ログの見方はよく分らないけど、一応、見ることは可能みたいですね。
明日はお休みなので、かちゅの過去ログから、15日以降…って大したこと無いけど
…ポコポコ貼り付けてみようかなと思います。

7 :ギシュクラ・ヤーノシュ:03/05/22 00:18 ID:YkS4ONkH
参りましたね・・・。ここ数日サーバーがおかしいみたいでしたが・・・。

全スレでアームズマガジンの記事の話が出てましたが、宮崎駿氏の雑想ノート
もどきの代物でした。戦艦シュマンクマイエルってなんじゃい・・・。
しかもヴァルタヴァ川を戦艦が遡上するなんて非常識な話でした。
嘘話は上手に作らないとしらけるだけですなぁ・・・。

二重帝国崩壊後、一時期、戦艦の一部をチェコ船籍にして海軍を保全
しようとしたとか耳にしたことがありますが、本当でしょうか?

8 :山崎渉:03/05/22 00:56 ID:???
━―━―━―━―━―━―━―━―━[JR山崎駅(^^)]━―━―━―━―━―━―━―━―━―

9 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/05/22 23:29 ID:???
>7
ま、過去ログは保存して読めるみたいですから。

さて、二重帝国崩壊後の戦艦というか、各種艦艇の移籍は確かマジャール王国
への移籍が検討されていたはずです。

元々、ハプスブルク家の温存のために、Austriaからマジャールに移って、此処で
王家を再興しようとした訳で、しかも、敗戦国Austriaの支配下に置かれていた地域
(敢えて国とは言わない)なのだから、軍関係のものは接収されることはないだろう
と言う目論みがあったようです。

が、クーンによる赤色革命が勃発してしまい、内戦でホルティ率いる白軍を支援した
CzechoslovakiaとRomaniaに国土が蹂躙され、しかも、周辺各国ともハプスブルク家の
復権は何が何でも阻止する動きを見せていました。
更に、戦争による領土獲得の為に、広大な領土を有するマジャールを敗戦国に仕立て
上げないといけなかったので、結局はその温存策が出来ず、ポシャッたかと記憶して
おります。

ちとうる覚えではありますけどね。

10 :名無し三等兵:03/05/23 06:44 ID:???
>>9
多くの人が勘違いしているが「うる」ではなく「うろおぼえ」が正解。

11 :名無し三等兵:03/05/23 23:42 ID:???
age

12 :名無し三等兵:03/05/24 21:34 ID:IfzPLfIA
初めまして。
私はこのスレのテーマに関してはまったくの素人なのですが、オーストリア
・ハンガリー二重帝国海軍に関心がある者として初めてレスさせていただき
ます。
今ハンガリーやホルティに関する記述がなされているようですが、ホルティ
といえば第一次大戦時に巡洋艦・駆逐艦部隊を率いてイタリア沿岸部やオト
ラント海峡の連合国封鎖線を襲撃した気鋭の提督として知られております。
まず1915年5月23日にイタリアが対オーストリア宣戦すると即座に出動し、
翌24日には軽巡洋艦ノヴァラ、駆逐艦1隻、水雷艇4隻を率いてコルシニの敵
水雷艇と信号場を襲撃しました。


13 :名無し三等兵:03/05/24 21:36 ID:???
ホルティ・ミカローシェ
折れ的には昭和天皇に馬を送ったってのしか知らない。

14 :12:03/05/24 23:28 ID:IfzPLfIA
ふと気づいたのですが、ホルティ提督の初(だと思うおそらく)のイタリア沿岸部
(コルシニ)襲撃は今から88年前の今日なのですね。
ちなみに、この時アントン・ハウス提督(二重帝国海軍司令長官)率いる本隊(ド
級艦フィリブス・ウニーティス以下の戦艦10隻、駆逐艦4隻、水雷艇20隻)もアン
コナを砲撃しております。

15 :名無し三等兵:03/05/24 23:31 ID:???
ホルティって海軍の軍人なのに軍事クーデターで陸軍部隊を率いてたりする謎。
あと勝手に摂政になったりする謎。


16 :名無し三等兵:03/05/24 23:34 ID:???
>>12
>>14
それは第二次大戦の話じゃないし

17 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/05/24 23:51 ID:???
>12
いらっさい。
数人でこのスレ維持も大変なので、引き続き参加宜です。

>15
第二次大戦ネタだけでこのスレ引っ張っていくのは難しいのよ。
それに第二次大戦の東欧については、バルカン戦争とかそれ以前の露土戦争
まで遡らないと時代背景が理解できないのです。

元々のスレには第二次大戦ネタがたくさんあったので、徐々に紹介していこうと
思っていますが、前スレでも許容さ入れていたことだし、この程度の脱線は許容
して下され。

18 :名無し三等兵:03/05/25 22:37 ID:CyzhvOzI
へぇ、昔のハンガリーには海があったんですか
何読めばそんなことが載ってるのですか?
世界の艦船とかでもイタリアの話題はありますけど

19 :名無し三等兵:03/05/25 22:39 ID:???
>>18
ネタか?ヨーロッパの内陸国は河防艦が発達したんだよ。
オーストリア海軍も有名だろ。「サウンド・オブ・ザ・ミュージック」のトラップ大佐は実在の人物だぞ。

20 :名無し三等兵:03/05/25 22:40 ID:???
まあモンゴル海軍とかも実在したことだし。

21 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/05/25 22:42 ID:???
煽りにマジレスするのも阿呆らしいが。

>18
偶には歴史の本でもご覧なさいな。

1918年まではマジャール王国にも海がありましたから。
タイムズアトラス歴史地図など、図書館で借りて読んでご覧なさい。

22 :名無し三等兵:03/05/25 22:44 ID:???
ルーマニア海軍も有名だぞ。
二次戦のときドイツ海軍に編入されたりして。

23 :名無し三等兵:03/05/25 23:10 ID:CyzhvOzI
トラップ大佐は映画では若目のおじさんですよね。
あんなに若くて偉くなれるんですか?

24 :名無し三等兵:03/05/25 23:12 ID:???
>>23
実際は結構ジジイだったハズです。

25 :12:03/05/26 00:14 ID:ob0QhMAj
元々の東欧軍隊スレでも眠い人様がおっしゃっていたと思うのですが、オーストリア
・ハンガリー二重帝国時代には、ハンガリーには唯一の海への出口フューメ(現クロ
アチア領リエカ)がありました。
ここのダヌビウス造船所では、元々帝国海軍の駆逐艦や水雷艇などの小艦艇しか建造
されていなかったのですが第一次大戦前夜に拡張され、新鋭軽巡洋艦ノヴァラ(ホル
ティ提督の艦)とヘルゴラント、フィリブス・ウニーティス級ド級戦艦の4番艦セン
ト・イシュトヴァーンなどの大型艦も建造されるようになりました。


26 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/26 00:33 ID:n7ivijv1
>18
ついでに教えてあげると宮崎駿氏のアニメ「紅の豚」で主人公が
豚さんになる前、第一次大戦当時の空戦シーンで登場する敵機は
オーストリア・ハンガリー海軍の航空隊の飛行艇です。



27 :名無し三等兵:03/05/26 01:14 ID:+JhWJ0su
トラップ大佐はサブマリンエースです。
オーストリア・ハンガリー海軍では第一次大戦前に潜水艦部隊が編成されると
伝統にとらわれない気風と高給により若い士官の関心を引きました。
開戦時7隻の近海用潜水艦しか持っていませんでしたがフォン・トラップ中尉は
その中の艦長の一人でした。
 海軍上層部の無理解によりオーストリア・ハンガリー海軍の潜水艦作戦範囲は
母港であるプーラ付近にのみ許可が出されていて、アドリア海南部での戦闘も
困難でしたので、1916年終了時点で中小型船を18艘しか沈めることが出来ませんで
した。
 しかし17年になりようやく考えを改めた海軍は、随一の長距離作戦が可能な
U-14と新型のU-10型2隻の潜水艦を南のカッタロに移動させて無差別潜水艦戦
を宣言しました。上のレスにあるオトラント障壁に対する打撃により地中海に
出撃可能となったU-14は2ヶ月で合計3万トンの船舶を撃沈する戦果を挙げました。
 戦勝ニュースに飢えていた新聞はU-14の艦長フォン・トラップを盛んに
エースとして取り上げ、国民的英雄扱いしました。
 映画「サウンド オブ ミュージック」のエピソードにありますように、
ドイツがトラップ大佐を自軍に招こうとしていたのは潜水艦戦のエースで
ある彼の実績と名声を欲していたからです。

28 :名無し三等兵:03/05/26 16:56 ID:???
>>27今まで知らんかった。
まさかそんな凄い人だったとは・・・・・・・


29 :名無し三等兵:03/05/26 17:52 ID:???
でも笛とか吹いてる家族でハチミツ風呂とかに入ってそう。

30 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/05/26 22:26 ID:???
http://www.people.or.jp/~deutsch/sub15.htm
 在東欧各国日本公使などの運命についても書いてあったりと,なかなか興味深いページを見つけました.


 PS 軍板FAQに,「高校レベルのはずのFAQ」ページを作ったほうがいいですかね?……
   初心者質問スレを見ていると,たまに愕然とするような質問がありましてねえ…….

31 :12:03/05/26 22:43 ID:ob0QhMAj
1917年になると無差別潜水艦戦の宣言により、オーストリア・ハンガリー海軍は
潜水艦の建造を促してこれを積極的に活用する方針を採りはじめました。
そして5月15日になるとホルティ提督率いる軽巡洋艦ノヴァラ、ヘルゴラント、サ
イダ、駆逐艦2隻、水雷艇5隻がオトラント海峡の封鎖線を急襲してこれを破壊し
たことにより潜水艦の地中海進出が可能となり、8月にはゲオルグ・フォン・トラ
ップ大佐の指揮するU-14が上記のスレにあるようなすばらしい戦果をあげました。
また、地中海に派遣されていた日本駆逐艦「榊」がギリシャ・クレタ島沖でオー
ストリア潜水艦U-27の襲撃を受けたのは同年の6月11日のことです。


32 :名無し三等兵:03/05/26 22:44 ID:???
で政権への道はまだ遠いの?>>ホルティ

33 :名無し三等兵:03/05/26 23:12 ID:???
Nagyb?yai Horthy Mikl耀
1868年生
1957(昭和32)年没
ケンデレシュ出身
ハンガリーの軍人・政治家
フィウメ(現、クロアチア リエカ)の海軍兵学校で学ぶ
第1次世界大戦中、オーストリア・ハンガリー帝国海軍提督
戦後、ハンガリーに帰国
1919(大正8)年 クーンの社会主義政府に対する反革命を指導 政権を奪取
ハンガリー国民軍総司令官
1920(大正9)年 国会で摂政に任命される
1921(大正10)年3月 前オーストリア皇帝でハンガリー王でもあったカール1世が復位を企図 これを拒否
 10月 再度カール1世の復位を拒否
1938(昭和13)年 ミュンヘン協定 トリアノン条約でチェコスロバキアに割譲したスロバキアの一部をとりかえそうとするが、失敗
ナチス・ドイツに援助を求める
 1938(昭和13)年 第1次ウィーン裁定 スロバキアの一部を獲得
 1940(昭和15)年 第2次ウィーン裁定 ルーマニア領のかなり広い地域(トランシルバニア北部)を獲得
 これらの見返りに、ハンガリーは第2次世界大戦でドイツ、イタリアに味方することを承諾
1942(昭和17)年 ドイツの敗戦を確信 連合国との単独講和を企図
1944(昭和19)年 ドイツ軍、ハンガリーを占領 親ドイツ政権を樹立
 10月 ソ連軍、ハンガリーに侵入 ソ連との停戦を企図するがドイツ軍に逮捕され、特別列車でドイツに連行される
終戦時、バイエルンでアメリカ陸軍に逮捕される
1945(昭和20)年 釈放
1951(昭和26)年 ポルトガルに移住

もうちょっと

34 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/27 00:02 ID:Wyn0SeiC
シシィことエリザベート皇妃の孫で後に「赤い皇女」の異名をとる
エリザベート皇女の愛人(!)エゴン・レルヒも潜水艦の艦長でし
たね。艦名が手元資料が埋もれてわからないですが・・・。

35 :12:03/05/27 00:38 ID:jrFzLnKE
寝る前にレスさせていただきます。
オーストリア・ハンガリー海軍は第一次大戦勃発時には潜水艦7隻(U1〜6、U12)
を保有しておりまして、エゴン・レルヒは潜水艦U12の艦長でした。
U12は1914年12月25日にはオトラント海峡に進出して同海域でフランスのド級戦
艦ジャン・バールに対し魚雷攻撃を行い、これを損傷させることに成功しました。


36 :名無し三等兵:03/05/27 00:39 ID:XBFsxX2M
よろ♪
http://angelers.free-city.net/page003.html

37 :名無し三等兵:03/05/27 00:52 ID:BHZ+OszG
バルカン半島も東欧に入れていいでしょうか?

38 :名無し三等兵:03/05/27 01:26 ID:???
南スラブ話は前スレでも小さく盛り上がった事が。



39 :黒装束:03/05/27 20:35 ID:DQt3tQGR
>ホルティ提督のあとがまに政権についた矢十字党、
 サーロシていうのはどんなやつ?


40 :名無し三等兵:03/05/27 20:50 ID:???
>フランスのド級戦艦ジャン・バールに対し魚雷攻撃を行い、これを損傷
>させることに成功しました。
「ジャン・バールを損傷させたのはマサチューセッツだろう!」と言う無知な
奴が出て来ることを予想して捕捉。
13.5インチ戦艦のオセアンの旧名がジャン・バールと言う

41 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/05/27 21:34 ID:???
>>39
サーラシ・フェランツ(1897〜1946)
軍人の家庭に生まれる。
1935年、ファシスト団体「民族の意志」を創設し、後、「民族社会党」を結成したが
禁止され、投獄される。
1940年、出獄し、矢十字党の党首となり、1944年、ヒトラーの後押しで首相に就任。
反対派を徹底的に弾圧し、テロ政治を行う。
政権崩壊時に脱出に失敗し、逮捕され、戦後人民裁判で死刑に処された。

42 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/27 22:49 ID:NuVvuoLt
>24
トラップ大佐は1880年4月4日のお生まれです。
ですから「サウンド オブ ミュージック」の物語の当時は初老ですね。

いや〜、皆さんお詳しい・・・。

43 :名無し三等兵:03/05/27 22:52 ID:???
どうでもイイけどあの映画のラストに出てくる修道女はホンモノのトラップ大佐の娘さんです。

なんでもイイけどアルプスの位置からするとなんでドイツ側に逃げてるのか謎。

44 :名無し三等兵:03/05/27 22:53 ID:???
>なんでもイイけどアルプスの位置からするとなんでドイツ側に逃げてるのか謎。
それは演出だからしかたないYO

45 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/28 00:13 ID:2xzfI185
艦艇の写真のページ
ttp://www.gwpda.org/naval/pg000000.htm

ウイーンの軍事博物館の展示でU20
ttp://www.bmlv.gv.at/hgm/english/seemacht.html

46 :山崎渉:03/05/28 15:50 ID:???
     ∧_∧
ピュ.ー (  ^^ ) <これからも僕を応援して下さいね(^^)。
  =〔~∪ ̄ ̄〕
  = ◎――◎                      山崎渉

47 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/05/28 23:26 ID:KuhwUWbo
しようがないなぁ・・・。

48 :黒装束:03/05/29 21:21 ID:LXUu9B9i
>41 情報感謝。
  昔映画で「ハンナ・セネシュ」というのがありましたが、
  ファシスト時代のハンガリーをよくあらわしていました。
  映画で知る限りサーラシはかなり残酷なヤシだったようで・・・
  かなり短期政権でしたが。
  個人的には漏れは東欧のファシストに興味あります。

49 :名無し三等兵:03/05/30 16:01 ID:CmkA6BT6
12 オーストリアってド級戦艦まで造ってたんですか?
びっくり!!潜水艦は有名だけど・・・

50 :名無し三等兵:03/05/30 16:49 ID:???
>>49 実は宇宙戦艦も作ってたんだよ

51 :名無し三等兵:03/05/30 21:25 ID:???
チェトニクとかウシュタシェとか東欧のファシストの詳しい文献ってないでしょうか?

わからんことがおおすぎる

52 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/05/30 23:34 ID:???
>48
「諸君!私が国王に生まれていなかったら…私は『農夫』に生まれたかった」
これは、Romaniaの独裁者CarolIIの慣用句でした。
で、この『』の部分が、『教師』なり、『技師』なり、『炭坑夫』なりになった訳で…。

ついでに、前スレからコピペ。

復刻★信じられないが、本当だ。 Part2
32 名前:名無し三等兵投稿日:01/10/29 14:43 ID:7fX2wWTe
第二次大戦中、クロアチアを支配していたファシスト政党「ウスタシャ」の
指導者パヴェリッチのもとをある人物が訪ねた。
見ると机の上に籠いっぱいの牡蠣のようなものが盛られていた。
それは何かと訪ねるとパヴェリッチはこともなげにこう答えた。
「それは私の支持者からの贈り物でね。」
「セルビア人の眼球だよ。」

>49
二重帝国の仮想敵国はイタリアです。
1867年以来、何度も矛を交えています。
その国に対抗すべく、戦艦から潜水艦まで各種取りそろえていました。

>51
前スレ(Dat9フォルダだかにあります)をご覧になるのも良いかも知れませんね。

53 :12:03/05/30 23:47 ID:+CXs6oXW
>49
オーストリア海軍は、1912〜15年にかけてド級戦艦4隻を、またそれ以前に準ド級
戦艦3隻を建造しております。
加えて超ド級戦艦4隻の建造計画もありましたが、第一次大戦の勃発でキャンセル
となりました。
  参考までに・・・
 ド級戦艦 ●フィリブス・ウニーティス
      ●テゲトフ
      ●プリンツ・オイゲン
      ●セント(聖)・イシュトヴァーン
 準ド級戦艦○エルツヘルツォーク(大公)・フランツ・フェルディナント
      ○ラデツキー
      ○ズリーニ



54 :黒装束:03/05/31 00:16 ID:gIm7f6WR
>51 文献といってよいかどうかわからんが、
   「ファシストの群像」という本がある。今手元にないので
    詳しくは覚えてないが長谷川とかいう大学教授が書いた
    やつがある。
  内容としては 西欧のファシスト達・東欧のファシスト達・
   アメリカのファシスト達とある。12年まえくらいのこと
   なので絶版になっていると思うが、シロートでもわかりやすく
   書いてあるのでおすすめではある。

55 :名無し三等兵:03/05/31 22:47 ID:???
ルーマニア陸軍のPhlepsという人物に関してご存知の方はいらっしゃらないでしょうか?
1939年時の階級が少将の人物なんですけど。

56 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/01 00:15 ID:lddnjVLj
聖イシュトバーン号は数年前にハンガリーのダイバー達が残骸を調査して
遺品や艦名の金属板を引き揚げています。
ブダペストの軍事博物館に遺物が展示されてますよ。

それにしても遊牧民族の王様の名前を戦艦につけるとは・・・。
プリンツ・オイゲンもラデツキーもズリーニも陸戦の英雄
ばかりだなぁ・・・。

57 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/01 00:19 ID:???
>55
それは、第七SS志願山岳歩兵師団「プリンツ・オイゲン」の司令官だった、
Artur Martin Phlepsの事でしょうか。

Artur Martin Phleps(1881〜1944)
1881.11.29   Siebenbogenに生まれる。
1896〜1900  二重帝国陸軍士官学校に在籍。
1901〜1918  チロルを皮切りに、帝国各地を転勤。
         最後には二重帝国陸軍参謀本部に在籍。
1918.11〜1919.2 Austria共和国軍で残務整理。
1919.4.1〜 Romania王国陸軍に佐官級で入隊。
        歩兵師団の部隊長などを歴任。
1923〜   参謀本部スタッフに就任、また陸軍大学で教鞭を執る。
1925〜   再び、各歩兵師団、山岳歩兵師団の指揮官を歴任。
1935.4.15  准将に昇進。
1939.    少将に昇進。
1940.2.1  Romania王国国防大臣に就任。
1940.8.6  Romania王国陸軍退役。
1941.6.30 国家社会主義労働者党に入党。
1941.7.〜1942.1 第五SS戦車師団Wiking師団司令部に所属
1942.2.1〜1943.6.21 第七SS志願山岳歩兵師団司令。
1943.6.4〜1944.9.21 管区指導者、地区警察司令官。
1944.9.21アラド近くで、ソ連兵によって射殺される。

最近ドイツ語を使っていないので、所々意訳がありますが、こんな感じかと。

58 :12:03/06/01 01:23 ID:m1te4Jhe
>56
そうなのですか? 聖イシュトヴァーン号の遺品がブダペストの軍事博物館に展示
されているのですか。それにしてもハンガリーのダイバーが残骸を調査したとはす
ごい!・・・ウイーンの軍事博物館にもオーストリア海軍コーナーがあるという事
なので、いつか行ってみたいものです(いつの事になるやら・・・)。貴重な情報
をありがとうございます。
・・・ところでズリーニに関しては????状態なのでさっそくネットで調べてみ
よっと。

59 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/01 01:54 ID:???
>58 前スレからコピペしたり。

285 名前:ギシュクラ・ヤーノシュ 投稿日:02/09/21 02:11 ID:h70inMDi
>284
そんなことを書いたことがありました。
ズリーニはハンガリー貴族の家名です。
戦車はシゲトヴァール城でスレイマン2世率いるトルコの大軍を相手に篭城した
ズリーニ・ミクラーシュの名前をいただいています。
最期はトルコ軍に城主以下が突撃を敢行して全滅するという壮絶な最期を遂げた
人物で、敗色濃い時期に登場した戦車の名前としては考えさせられるものがあり
ます。ズリーニ一族はクロアチアの太守の家柄でしてクロアチアではニコラ・ジ
ュービッチ・ズリンスキーという名で知られています。

第一次大戦後シベリアを突破して極東に逃れたチェコ軍団の一部が帰国途上神戸
に来たおり、関西学院大学のグリークラブのメンバーが通訳をしたそうです。チェ
コ軍団には軍楽隊もあり、チェコの軍歌をグリーのメンバーは伝授されたのですが
その中に「ウ・ボイ」という曲がありました、グリーのメンバーも歌詞の意味もわ
からず「どうもチェコの軍歌だそうだ」ということで歌いついでこらえたそうです
が、ベルリンの壁崩壊の後、海外の合唱団体との合同コンサートかなにかで披露し
たところ、あわせて歌いだした人たちがいたそうです。それがクロアチアの合唱団
だったことから、ウ・ボイはイヴァン・ザイツ作曲のオペラ「ニコラ・ジュービッ
チ・ズリンスキー」の中の曲で、ズリーニ以下が群がるトルコ軍に向けて城門を開
き、最期の突撃を敢行する場面の曲だと判明したそうです。
世の中には奇縁というものがあるものだと、こういう話を聞くとつくづく思います。

60 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/01 01:54 ID:???
も一つ、前スレより。

301 名前:名無し三等兵 投稿日:02/09/27 00:02 ID:GgUmhaW/

ズリーニの突撃の別バージョン
ttp://www.kfki.hu/keptar/kep/h/hollosy/muvek/1890-99/zrinyi.jpg
ttp://www.kfki.hu/keptar/kep/s/szekely/muvek/1871-/zrinyi_v.jpg
ttp://www.kfki.hu/keptar/kep/c/csontvar/muvek/1903-04/zrinyi.jpg
ttp://www.kfki.hu/keptar/kep/k/krafft/muvek/zrinyi.jpg

熊みたいなのは最後の画ですね。
これは王宮にある美術館で見られます。

61 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/01 13:23 ID:htic3D18
ズリーニというと同名のお孫さんがいます。
この方も有名な軍人でかつ詩人で祖父の武勲を「シゲトの危急」
という作品にしています。この方も対トルコ戦の勇者でしたが、
思想的にはハプスブルク家からハンガリー王国を独立させよう
という方向の方なので、いくら有名人と言ってもオーストリア
ハンガリー海軍の軍艦名にはならないでしょう。
彼は狩猟中に猪の反撃で命を落とし、彼の弟がその遺志を継ぎ
ますが、露見して処刑されてしまいました。
しかし、その娘ズリーニ・イロナの夫、テケイ・イムレ、そして
イロナの息子ラコーツィ・フィレンツ2世と対ハプスブルク戦争
は引き継がれていくことになりました。

62 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/01 17:38 ID:???
一応、前スレのdatです。
必要な方はダウンロードして下しい。

第二次大戦中の東欧の軍隊、兵器を語るスレ【dat:'03/05/15迄・レス:1〜477】
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi?bbs=army&key=../dat9/1025095466&ls

63 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/01 17:39 ID:???
で、478以降のログ貼り付けでし。

478 名前:名無し三等兵 投稿日:03/05/16 14:41 ID:???
オーストリア=ハンガリーの艦船写真が見られるサイト
(ギリシャもあるよ
ttp://www.gwpda.org/naval/pg000000.htm

479 名前:名無し三等兵 投稿日:03/05/17 00:28 ID:???
スウェーデン戦闘機の性能の良さに感動するな。
サ―ヴ社はWW2当時から本当に良い仕事する所ですなあ
生産数?あまりの少なさに寂しくなる(藁

480 名前:ギシュクラ・ヤーノシュ 投稿日:03/05/17 23:37 ID:JjxTmaOp
>479
ハンガリーかどっかがグリペンを採用するのではありませんでしたっけ。

481 名前:眠い人 ◆gQikaJHtf2 投稿日:03/05/17 23:40 ID:???
>480
マジャールのグリペンは、洪水の余波でキャンセルされたんじゃなかった
でしょうか。
最近の情勢には疎いのですが。

482 名前:消印所沢 ◆z3kTlzXTZk 投稿日:03/05/18 18:40 ID:???
>>481
 それはチェコの話ではなかったかと.

64 :12:03/06/01 22:16 ID:m1te4Jhe
>59,60,61
どうもありがとうございます。いろいろと勉強になります。
>63
このオーストリア・ハンガリー海軍のサイトはいいですね。特にド級・前ド級戦艦
以前の艦艇は世界の艦船ではお目にかかれないものだし・・・一見の価値ありです
ね。このサイトを見られる方は以下を参考にしてみて下さい(こんなものでよけれ
ば・・・)。
 オーストリア・ハンガリー海軍艦艇
[ド級戦艦]
フィリブス・ウニーティス級 /フィリブス・ウニーティス/テゲトフ/プリンツ・オ
イゲン/セント(聖)・イシュトヴァーン
[準ド級戦艦]
エルツヘルツォーク(大公)・フランツ・フェルディナント級 /エルツヘルツォー
ク・フランツ・フェルディナント/ラデツキー/ズリーニ
[前ド級戦艦]
エルツヘルツォーク(大公)・カール級 /エルツヘルツォーク・カール/エルツヘル
ツォーク・フリードリヒ/エルツヘルツォーク・フェルディナント・マックス
ハプスブルク級 /ハプスブルク/アルパード/バーベンベルク
[海防戦艦]
ブダペスト級 /ブダペスト/ウイーン/モナーク
[砲塔装甲艦]
クロンプリンツ・エルツヘルツォーク・ルドルフ/クロンプリンツェセィン・エルツ
ヘルツォーク・ステファニー


65 :12:03/06/01 22:23 ID:m1te4Jhe
64の追加です。
[軽巡洋艦]
アドミラル(提督)・スパウン/サイダ/ヘルゴラント/ノヴァラ
[装甲巡洋艦]
カイゼリン(皇后)&コニギン(女帝)・マリア・テレジア/カイザー(皇帝)・カ
ール6世/サンクト(聖)・ゲオルグ

66 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/03 23:08 ID:IVrG1kPz
ハプスブルク級のアールパードはイシュトヴァーン1世が初代王(キリスト教
世界から認められた)となったハンガリーの王家です。
バーベンベルグはハプスブルク家が支配する以前のオーストリア大公家です。
両方とも絶家になっちゃってますが・・・。

クロールプリンツは皇太子ですね。自殺したルドルフ皇太子とその皇太子妃
だったベルギー王家出身のシュテファニーの名前ですね。

あとマリア・テレジアは皇后でハンガリー女王です。

蛇足の補足でした。

それから、巡洋艦でカイザリン・エリザベートという
のがありまして、青島で日本軍に降伏したかと思います。
確か、日本に寄港したこともあったのではないでしょうか。

67 :名無し三等兵:03/06/03 23:09 ID:???
青コート部隊とペチコート部隊。

68 :名無し三等兵:03/06/03 23:43 ID:???
>>67
青コート部隊はウクライナだとわかるが「ペチコート部隊」とは?

69 :12:03/06/04 00:16 ID:7BMK2fly
63のオーストリア・ハンガリー海軍のサイトには紹介されていないのですが、66で
ギシュクラ様が触れられたので、
65の巡洋艦の追加です。
[防護巡洋艦]
カイザー(皇帝)・フランツ・ヨーゼフ1世/カイゼリン(皇后)・エリザベート
[軽巡洋艦(旧)]
ツェンタ級 ツェンタ/アスペルン/スツィゲトヴァー
[水雷巡洋艦]
レオパルト/パンター

この中でスツィゲトヴァー≠ェ??状態・何を意味するのかさっぱりです(という
か私の読み方がてんで違ってたり・・)。ネットで検索すればでてくるかしら?

70 :名無し三等兵:03/06/04 00:17 ID:Ps9F2stS
みてね♪
http://www1.free-city.net/home/s-rf9/page006.html

71 :12:03/06/04 00:37 ID:7BMK2fly
>66
巡洋艦カイゼリン・エリザベートに関しては前スレで眠い人様がおっしゃっておりま
したよね。・・私は正確な事はよくわからないのですが、親善を目的として日本に
寄港し、その帰途第一次大戦が勃発して青島で日本軍との戦闘に巻き込まれた、と
何かの本に書いてあったような気がします。
またそれ以前の1893年にも、新しく皇太子となったフランツ・フェルディナントを
乗せて日本に寄港したとの事です。

72 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/04 23:17 ID:mzkwtY68
>69
それはシゲトヴァールですね。このクラスは古戦場の名前のようです。
シゲトヴァールはハンガリー南部にある城(ヴァールは城の意味)で
ズリーニ・ミクラーシュがスレイマン大帝率いるオスマン帝国の大軍
を迎え撃ち、壮絶な玉砕(最期は家族を我が手にかけ、城門を開いて
敵陣めがけ突撃を敢行)をとげた古戦場です。

73 :寓話:03/06/05 19:45 ID:qvMCAVgv
>ところでブルガリアってなにしてたんだ?いちよ枢軸側
 なのか?

74 :名無し三等兵:03/06/05 20:25 ID:???
>>73
ラスカンにのってる。
対パルチザン戦を除けば実質枢軸国としか戦わなかった枢軸国家として。

75 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/05 20:31 ID:???
 ブルガリアは1941年3月,枢軸同盟に加わりました.
 大戦には参加したくなかったようですが(詳しい解説希望),
ドイツの圧力により,1941年12月に対米英宣戦布告しました.
 ただし,独ソ戦には参加しませんでした.
 主な戦闘としては,ルーマニアのプロエスティ油田に対する米英の空爆に対する
迎撃戦闘を行っています.
 1944年6月のソ連軍の大攻勢により,国境にソ連軍が迫ると,
ブルガリアは8月26日,独ソ戦についての中立を宣言しましたが,
ソ連はこれを受け付けず,翌27日,ブルガリアにソ連は宣戦布告しました.
 そのソ連の圧力で9月9日にブルガリア政府は対独宣戦布告し,
1945年の終戦までドイツと戦いました.

76 :12:03/06/05 22:42 ID:Yd21Ai3F
>72
いつもいつもありがとうございます。たしかにツェンタの戦い、アスペルンの戦い
と続いているので3番艦も続きそうですよね。・・・それにしても詳しいなぁ・・・

>73
第一次・二次大戦を問わずブルガリアの海軍の動向に関心があります。特に第一次大
戦時のブルガリア海軍はどのような艦艇を保有していてどのような戦闘を行ったのか
?など興味津々で(以下略)。



77 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/05 22:51 ID:???
とりあえず書き直すのも何なので、コピペでお茶を濁す。

さて、Bulgariaについて話をしてみませう。

この国はトルコより独立し、黒海に面した国であったが、12世紀の大Bulgaria帝国
を夢想して周辺各国との争いが絶えなかった。
何しろ、そのころのBulgariaは、Romaniaの一部とGreeceの殆ど、更に、Belgrade
近くまで領有してたりする。

1912年には、Serbia、Montenegro、Greeceと組んでTurkeyを相手に第一次Balkan戦争
を戦い、Macedoniaを得た。
SerbiaはRussiaの支持の下でアドリア海への通路を要求、ItalyはAlbaniaの占領を望み、
GreeceはItalyによるドデカネス諸島占領に抗議し、二重帝国はあらゆる勢力拡大を阻止
しつつ、Bulgariaを援護すると言う混沌状況の中、1913年にBulgariaがSerbiaを攻撃し、
第二次Balkan戦争が始まる。

このときは二国間戦争だったはずなのに、各国の思惑により、Serbia支援のために
Romania、Greece、Montenegro、Turkeyが参戦。
これに対し、Bulgariaを支持する二重帝国は支援を行おうとするが、GermanyとItalyが
これを阻止し、結果として、Romaniaは南ドブルジャを、Greeceはマケドニアを、それぞれ
Bulgariaより割譲される。

これが、第一次大戦でBulgariaが同盟側に立って参戦する原因となったのである。

78 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/05 22:52 ID:???
さて、そのBulgariaですが、第一次大戦では1915年にドイツと友好・同盟条約を
締結し、10.14に参戦します。
その代償に、Serbia領のマケドニア(現在のマケドニア共和国)を同盟諸国から
獲得します。
そして、Greece、Romaniaが連合国側に参戦した場合に、これを撃破した暁には
Greece領マケドニアとRomaniaのドブルジャを獲得する権利を持っていました。

後者の権利は、1916年にRomaniaが参戦し、12月に全土を制圧した時に発生しま
した。
ドブルジャは、1918.5.7のBucharest条約で正式にBulgariaのものになります。

しかし、4ヶ月後、前年に連合国側に立って参戦したGreeceから行われた連合軍の
マケドニア攻勢により、Bulgaria軍は崩壊し、同盟国側としては、9月末、最初に戦線
を離脱してしまうのです。

79 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/05 22:53 ID:???
第一次大戦後、Bulgariaも敗戦国となり、1919年11月27日、ヌイイー条約
を締結します。

これにより、Serbiaにマケドニアを中心とした国境地帯の一部を割譲し、
Romaniaにはドブルジャを返還し、Greeceにエーゲ海に面したトラキア西南
地方を割譲した上、空軍保有の禁止、保有兵力上限2万人という枠を嵌め
られます。

このため、戦後は難民問題とYugoslaviaに対するマケドニアの主権要求が
主な政治課題となりました。
敗戦後、政治の舵取りをしていたのは、農民党と言う政党で、首相のスタン
ブリスキーは、農民に対する土地改革、マケドニアとBulgariaの一体化を
推進してきました。
これに反発したのが、旧体制勢力で、彼らは軍を動かし、1923年に将校団が
決起して、首相を射殺し、共産党と農民党を解散に追い込みました。
更に、世界恐慌で経済が混乱し、国家社会主義勢力が台頭すると、バスに
乗り遅れるな、とばかりに、1934年、ツヴェーノと言う保守派将校組織のクー
デターが起き、ゲオルギエフ大佐による独裁体制が確立します。

その大佐は1935年に失脚し、国王ボリスIII世の直接統治が始まるのです。

80 :名無し三等兵:03/06/05 22:54 ID:???
関連スレ 的なものを世界史板より紹介

史上最強のファシスト A・パヴェリッチ
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043743145/
クロアチア、当時のバルカンに興味のある方は参考になど

81 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/05 23:13 ID:???
でもって、前回のスレではBulgaria海軍に関して、お茶を濁したので、
とりあえず書いてみましょう。

先程も書いたように、1878年の露土戦争の結果独立を勝ち取った国で、親露国
です。
その海軍は、1896年にKrum、Aleksandr I、Simeon Velikiと言う三隻の蒸気船と、
Asenと言う練習船、それに三艘の蒸気小型艇から成っていました。
これらの艦艇は、ロシア帝国から供与されたものでした。
その後、フランスの援助を受け、Nadezhdaと言う717tの砲艦を彼の国に発注
しました。
これが、1908年まで旗艦となります。
更に、黒海沿岸にフランスの援助で造船所を建設し、Kaliakraと言う80tの小艇を
建造します。

1903年に第一次建艦計画が立案されます。
これは、15t級魚雷艇を12隻、90t級魚雷艇を2隻、150t級の魚雷艇を2隻、練習艇
と若干の沿岸哨戒艇を含んでいましたが、結果的に、97tの魚雷艇を6隻、魚雷艇
母艦が3隻、沿岸防御用の240mm砲2門と100mm砲2門をフランスのシュナイダー
に発注しました。
1905年に、更に2隻の機雷敷設艇が完成します。

1910年には更に拡大計画が立てられ、470t級の駆逐艦2隻、190t級潜水艦と、機雷
敷設艦が計画されましたが、政府が借款を得るのに失敗したので、立ち消えとなり
ました。
一方、1908年には、Russiaが黒海艦隊で余剰となった巡洋艦、砲艦、機雷敷設艦、
魚雷艇の売却と供与を持ちかけますが、国をRussiaの保護下に置くのを条件としま
したので、これは立ち消えとなりました。

82 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/05 23:34 ID:???
第一次大戦は、1898年竣工のNadezhdaと言う砲艦(717t)を旗艦に、魚雷艇
Vasil Levski、Hristo Botevと言う20tの魚雷艇(1877年竣工)が現役でした。

前者は、バルカン戦争で砲を陸揚げし、戦争終了後、またその砲を装備し、
第一次大戦中の1915年に砲を再び陸揚げしています。
1918年にRussiaのセヴァストポリに送られ、此処でBolshevikの手に落ち、
赤軍の艦艇となっていますが、程なく退役し、1941年までセヴァストポリで
ハルクとして使われました。
後者は元帝政Russia海軍の魚雷艇で、1884年に供与され、Balkan戦争、
第一次大戦共に、哨戒艇として用いられました。
Botevは、1930年に退役し、1936年に記念艦としてRuseで係留されていました。
Levskiは程なくガソリンエンジンに換装し、1938年に退役しました。

最初の購入艦であるAleksandr Iは、350tのFrance製で、平時は王室ヨット、
戦時は機雷敷設艦兼輸送艦となります。
これは、1913年に座礁し、1914年に修理されましたが、程なく除籍されました。

最初の建艦計画で導入された、France製97.5t級魚雷艇は、Drski、Smeli、
Hrabri、Strogi、Letjashchi、Shummiの6隻。
レシプロ水管缶で1900hp、これで26kt/hを出し、石炭10.5tを搭載して、500海里
の航続力を誇る。
武装は、37mmシュナイダー速射砲2門と、450mm魚雷発射管が艦首に1基、艦上
に連装管が1基装備されている。
Shummiは、1916年9月12日にVarnaに於いて、Russiaの敷設した機雷に触雷して
沈没し、Strogiも損傷、Letjashchiは、1918年10月にFranceに鹵獲され、11月28日に
Varna沖で沈められました。

83 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/05 23:56 ID:???
で、Drski級の水雷艇の残りは、しぶとく生残り、1920年代前半に掃海艇に
改造され、後に再び魚雷発射管を装着、1934年に改装され、第二次大戦でも
哨戒艇になっています。
この時の武装は、450mm魚雷発射管2基と、20mm砲2門、そして1942年には
47mm砲2門を追加され、2丁の機関銃と、爆雷が装備されています。
休戦後、これらの艦艇はSoviet海軍に引き渡され、1954〜1955年まで使用
されています。
Drskiは、ソ連海軍退役後、Varnaに返還され、陸揚げされてモニュメントと
なっているそうです。

このほか、1920年代までに装備した艦艇は、1918年5月25日にドイツから
供与されたUB1級潜水艦のNo.18があり、これは、ドイツのUB8で、Varnaの
防備に用いられました。
休戦後、ヌイイー条約でFranceに引き渡され、1921年8月にビゼルタでスクラップ
になりました。
同時に、UB7も供与される予定でしたが、これは到着前に撃沈されてしまったそうです。

機雷戦艦艇は、105tのFranceの蒸気帆船、De Romasを1906年に購入して、Kamchija
と改名し、機雷10〜12発を搭載する機雷敷設艦として使用しました。
第一次大戦では哨戒艇として用いられ、1924年に測量艦に艦種変更されています。
第二次大戦では再び敷設艦となり、1945年以後、また測量艦に戻され、1952年に除籍
されました。
このほか、15t級の内海掃海艇として、Konduktor Dokuzanov、Kapitan-Lejtenant Minkov、
Kapitan-Lejtenant Minorの三隻と8t級の内海掃海艇として、Nesebr、Emona、Kalacerkaの
三隻が在籍しています。
これらは、1917年にドイツから引き渡されたもので、一度Franceに接収されたものの、
返還され、最後の艇は1955年まで使用されました。

84 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/06 00:00 ID:???
1921年、Bulgaria海軍の再建に当たって、米海軍で余剰となったSC級の駆潜艇が2隻購入
されました。
これは、Chernomorec、Belomorecと命名されました。
これは、1934年に一度退役しましたが、すぐに再使用され、タニューブ河の警備に使用され、
第二次大戦終結まで使用されています。

このほか、少数の哨戒艇と、1906年に購入された28tの訓練艇Strela、17tの魚雷揚収艇が
在籍しています。

第二次大戦のBulgaria海軍はまた今日の夜にでも。

85 :名無し三等兵:03/06/06 19:58 ID:???
>>68
ペチコート部隊ってエロゲのキャラだろがよ!

86 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/07 01:24 ID:???
で、昨日の続き。

1919年7月27日に締結されたヌイイー条約の結果、枢軸国から得た有力艦は
スクラップまたは連合国に引き渡され、4隻の魚雷艇を主力とする警察部隊として
海軍は存続しました。
1938年の再軍備宣言に至るまで、忍んだ訳です。
1937年にドイツと軍事援助条約を結び、3000万マルクの援助を貰い、ドイツの
軍事物資の購入に充てました。
第二次大戦では、1941年3月に枢軸に加盟し、ドイツの軍事援助を更に貰い、
なけなしの商船はドイツ軍の輸送に活動しました。
1944年9月8日にソ連軍が国境線を越えたとき、休戦に同意し、矛を逆しまにして
ドイツ軍に襲いかかりました。
海軍も例外ではなく、ソ連軍の指揮下で、Danube河戦隊と黒海艦隊に属して、
活動しています。

このうち、前述のDrski級魚雷艇のうち、Smelyは、1943年5月19日に撃沈されました。
このほかの戦闘艦艇は1921年にFranceを通じて米国から購入した、SC級駆潜艇2隻
があるだけです。

87 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/07 01:41 ID:???
1930年代に新たに加わったのは、大戦直前の1939年に、Bulgaria海軍にリュールセン社製の
S2級魚雷艇が4隻引き渡されています。
これは、ドイツのSボートと同型で、5隻が建造され、うちS2〜S5の4隻が、F1〜F4と言う艇名で
使用されました。
このほかに、同型艇をBulgaria国内で建造する予定でしたが、大戦勃発による部品入手難で
果たせませんでした。
これも不活発で、1944年9月にソ連軍に引き渡され、ソ連軍はTKA958〜961を改名して使って
いました。
戦争終盤の1945年4月2日にソ連から返還されています。

もう一つ、その建造できなかった魚雷艇の代わりに、30t級のBritish Power Boat製魚雷艇に
似たデザインの魚雷艇をドイツから1942年に引き渡されています。
これは、オランダで建造中のものを捕獲し、1941年に完成させたもので、ドイツではS201〜
S202として在籍していたのを、1隻追加してBulgariaに供与したもので、同型艇4隻がRomania
に渡りました。
この艇の搭載エンジンには、英国デザインらしく、英国製のR.R.Marlinが3基使われています。
このエンジンは、大戦初期に欧州で撃ち落されたRAFの機体から取り外したものがそのまま、
載せられたそうです。
艇名は1号〜3号で、これもソ連に供出されてTKA962〜964となり、1945年4月2日に返還され
ました。

これらの艇はいずれも、共産化後の1947年に、除籍されています。

このほかの小艦艇も同じ運命を辿っています。
但し、曳船のVoievodaは、1945年に当時は友邦だったYugoslaviaに供与されて
います。

88 :12:03/06/07 22:54 ID:q1zXyY9E
>72
この軽巡洋艦シゲトヴァール(スツィゲトヴァー改め)は、第一次大戦勃発(1914年
7月28日)ののち、軽巡ツェンタその他の艦艇とともにモンテネグロ沿岸部の封鎖活
動に従事しておりましたが、、兄のツェンタの方は運悪くアドリア海南部に進航して
きたド級艦クールベ以下11隻のフランス戦艦部隊と遭遇し、ド級戦艦ジャン・バール
の砲撃を受けて沈没してしまいました。8月15日の事です。
その後兄の敵討ちをしたのが(撃沈までには至らなかったが)、エゴン・レルヒの指
揮する潜水艦U12でした(→35のレス参照)。二重帝国海軍が大戦の初年に喪失した
のが、このツェンタと巡洋艦カイゼリン・エリザベートの2隻です。

>77〜79,81〜84,86,87
・・・・・・・もう言葉ではなんと表現してよいのかわかりません。
いつもほんの軽い気持ちでコメントしているだけなのに・・・
なんか一方的に大切な知識をいただいてしまっているようで申し訳ないような気持ち
です。



89 :名無し三等兵:03/06/07 23:01 ID:???
「親露厨」みたいな名前の酒なかったっけ?

90 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/07 23:03 ID:???
>77〜79,81〜84,86,87

 そ,そ,ソース希望.
 そんなにマイナー海軍に詳しい本,洋書だろうが何だろうが,ぜひ買いたいので.
(無料サイトだと,なお嬉しいが)

91 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/08 00:04 ID:???
>88
(・3・) エェー 気にしないですYO。
二重帝国海軍の文献は本当に見あたらないので、いつもその知識には
感服いたしておりまする(煽りでも何でも無しに本当でつよ)。
性が、怠惰なもので、適当に御題を出して頂ければ、有難いです。

>89
それ、真露酎では無かったか…と。
ネタにマジレスしたかもしんない。

>90
ソースでつか、ソースは脳内でつ。

…つ〜のは冗談として、>77-79はOxford版Bulgaria史
を主に、その他、歴史の本をひっくり返して書いたもの。
Bulgaria海軍の下りは、Conway's All The World's Fighting Shipsの集約版
で、1860-1982までの海軍現勢を4分冊に分けて書いてあるもののうち、
Vol.II(1906-1921)とVol.III(1922-1946)を参考にしました。
漏れの海軍関係の記述は殆どがこれに頼っています。
偶に、Jane's Fighting Shipsの復刻版を使ってますけどね。

92 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/08 00:30 ID:jCok9C5O
オーストリアでは二重帝国海軍関係の本がけっこう出ていますよ。
拙宅には写真集の類しかないですが・・・。
一度アマゾンの本家の方で検索してみます。



93 :名無し:03/06/08 01:06 ID:???
軍学者、兵頭二十八が早稲田に来るって知ってた?
6月12日の4時から大隈講堂で講演するらしいが・・・
詳しいこと誰か知らない?

94 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/08 01:13 ID:???
ところで2次大戦のドイツ海軍の「プリンツ・オイゲン」
の命名のいきさつをどなたかご存知ないですか。
ホルティ提督がらみとか聞いた覚えがあるのですが・・・。

95 :名無し三等兵:03/06/08 01:28 ID:???
時期的にドイツ・オーストリア併合がらみでしょう? >プリンツ・オイゲン

96 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/08 15:28 ID:???
>>91
 どうもです.さっそくアマゾンに走ります.

>プリンツ・オイゲン

 こんな,そのまんまの名前のサイトがあるとは.
http://www.prinzeugen.com/

97 :12:03/06/08 22:18 ID:5U2V4E7m
>91,92
私の二重帝国海軍関連の記述は、そのほとんどが「exciteの翻訳検索」を用い、オース
トリア海軍∞オーストリア・ハンガリー海軍≠ネどのキーワードで引っかかったサイト・
資料の情報を利用させてもらっています。探せばかなりのものがあるのではないかと思い
ます。
あと文献に関してですが、
1.The Central Powers in the Adriatic,1914-1918:War in a narrow sea
2.THE NAVAL POLICY OF AUSTRIA-HUNGARY:Navalism,Industrial Development and
the Politics of Dualism の2冊を、
1は最近必要なところを読み、2はこれから読み始めようというところです。2は内容が非常
に詳しくすばらしい本です。両方ともアマゾンを通して購入しました。

>94
(お答えにはなっておりませんが、一応自分の知っている範囲で・・・・)第2次大戦のドイツ
戦艦「プリンツ・オイゲン」は、もともとテゲトフと命名される予定だったみたいですが、
すでに友好関係にあるイタリアの心証を悪くしないようにとの配慮から急きょ名前を変更
した。と、これまたなにかの本か雑誌に出ておりました。
ちなみにこの時の艦は3代目でありまして、1代目はリッサ海戦(1866年)時のオーストリ
ア海軍装甲艦プリンツ・オイゲン、そして2代目が第1次大戦時の同海軍のド級戦艦プリン
ツ・オイゲン、です。




98 :12:03/06/08 23:00 ID:5U2V4E7m
〜97の訂正ということで〜
第2次大戦の独戦艦プリンツ・オイゲンはどうやら4代目のようです。
1870年代にもう1隻プリンツ・オイゲンという名のオーストリア海軍の装甲艦が建造
されております。よって1次大戦のド級戦艦は3代目ということに・・・。



99 :名無し三等兵:03/06/09 17:55 ID:6pDZ6BvN
あのー、二次大戦の東欧の話はどうしたの?
ついでにズリーニというとハンガリーの突撃砲ですね

100 :名無し三等兵:03/06/09 22:15 ID:???
いやトラーンが忘れられて留

101 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/09 23:40 ID:???
>>99-100
いや〜、前スレでかなり語られていたので…今更同じ事を書くと、見る人が
つまらないか、と。

とりあえず、タス最高!と言っておきましょう。

一応、Bulgaria海軍ネタを書いているので…また追々折に触れて書いて
いきます。

102 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/09 23:58 ID:???
>97
テゲトフではイタリアは心証悪いでしょうねぇ・・・。
それでオイゲンですか。オイゲンだとフランスが怒るかもしれませんが
仮想敵なんで構わないのでしょうね。
>99
戦車のズリーニも軍艦のズリーニも名前の由来は一緒で、上で出ている
シゲトヴァールで壮絶な討ち死にをしたクロアチア太守ズリーニ・ミク
ラーシュ(ニコラ・シュービッチ・ズリンスキー)のことです。

敗色濃いさなかに戦車にこういう名前をつけるセンスというのは・・・。
どうせつけるならナンドールフェヘルヴァール(ベオグラード)の戦い
で奇跡の勝利をおさめたフニャディ・ヤーノシュにすればよかったのに。

そういえば計画だけで中止になった超ド級戦艦にはフニャディ・ヤーノ
シュの名が予定されていたという話を聞いたことがありますが、本当で
しょうか??

103 :12:03/06/10 22:30 ID:hCEASzPT
>99,100
おっしゃる通りだと思います。
また機会あるごとにご指摘いただければと思います。

>102
へぇそうなんですか?二重帝国海軍の超ド級戦艦にそのような人物の名がつけられて
いたかもしれないとは・・・・。ネイビー関係の本では「モナーク級」「モナーク代艦級
」としか書かれていないので、非常に興味深い話です。
・・・・余談ですが、この超ド級艦4隻に置き換えられる予定だった?海防戦艦3隻(モナ
ーク、ウイーン、ブダペスト)は、第一次大戦勃発時はかなりの旧式艦でしたが、意
外や意外、大戦ではけっこうの活躍ぶりなので驚いています。

104 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/10 23:27 ID:???
>103
ネット上で見たことがあるという程度なんで確信が持てないのですよ。
それで誰かご存知ないかと思いまして・・・。
旧式艦大活躍というとフォン・エッセン率いるロシアの黒海艦隊も
そうでしたね。

105 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/10 23:41 ID:???
>103
ブダペシュトは、1918年5月頃に前部砲塔に17口径38.1cm砲を一門
装備した陸上砲撃専門艦に改造しようとして、果たせなかったようで。

15in砲はドイツから入手する予定だったのでしょうかね。

106 :名無し三等兵:03/06/12 21:11 ID:tMe8VyF5
ニムロデ対空戦車は?

107 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/13 00:06 ID:???
>105
なんか三景艦みたいですね。
大砲はシュコダじゃないんですか?

ウイーンの軍事博物館には第一次大戦当時のシュコダの製品が
いくつかおいてありますよ。

108 :名無し三等兵:03/06/13 00:34 ID:???
どっちかというとイギリスのモニターみたい。
改造したとして何処で使うつもりだったんだろ。
大規模な上陸戦でも考えていたんですか?

109 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/13 23:41 ID:???
 豆知識

 ゾルゲの映画ができたそうですが,ゾルゲと同時代,フィンランドのあの
オットー・クーシネンの妻,アイノ・クーシネンも,東京でソ連側のスパイとして
活動していました.
 コード・ネームは「イングリット」.
 裕福なスウェーデン人作家「エリザベート・ハンソン」と自称し,上流界への
潜入を図りました.
 しかし1937年,世界中の殆どの諜報員がそうであったように,彼女は帰還命令を
受け,帰還直後に逮捕されています.
(ゾルゲも帰還命令を受けていたのですが,危険を察知し,のらりくらりを
これを拒み続けました.もし,これに応じていたら…….歴史は皮肉に
満ちてますな)

 前スレではフィンランドの話もOKとのことだったので,書き記す次第.

110 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/13 23:52 ID:???
>107
陸上の要塞砲転用はイタリアが良くやってましたね。
砲身長もそんなに大きくないから、そうかもしれない。

>108
上陸戦とかではなく、Italyの沿岸砲撃用だったようです。
対するItalyは、参戦初期に二重帝国から奪取した艀に大口径砲を載っけて、
Monitorとして使用していましたが。

111 :12:03/06/14 00:08 ID:Jer/U87g
・・・・思いついたので、なんとなく書いてみたり・・・・
オーストリア・ハンガリー二重帝国海軍艦艇
[超ド級戦艦]
エルザッツ・モナーク級 /エルザッツ・モナーク/カイザー(皇帝)・カール5世/エルツヘル
ツォーク(大公)・フレデリック/フニャディ・ヤーノシュ

>105
陸上砲撃専門艦に改造されようとしていた≠ニいうのはなんとなくわかるような気が
。これら3隻の第一次大戦における戦歴が「陸上部隊の援護射撃」という形が多いようで
したから。
昨年(1917年)の10月16日には海防戦艦ウイーン、ブダペスト、水雷艇10隻がベネチア
の北東に位置するイタリア軍陣地(ピアヴ川河口付近)を砲撃し、同24日にドイツ、二
重帝国陸軍がイタリア国境を越えてカポレットの敵軍を急襲すると海軍は再び支援に赴き
、11月16日には戦艦ウイーン、ブダペスト、水雷艇14隻が再びピアヴ川河口を砲撃した
りしました。


112 :アンチネスク:03/06/14 20:55 ID:OaHF2hI8
誰か、アントネスク又はホルティについて詳しい方、彼らの経歴について詳しく教えてください。

113 :名無し三等兵:03/06/14 20:56 ID:???
ホルティ・ミカローシェ
1868年生
1957(昭和32)年没
ケンデレシュ出身
ハンガリーの軍人・政治家
フィウメ(現、クロアチア リエカ)の海軍兵学校で学ぶ
第1次世界大戦中、オーストリア・ハンガリー帝国海軍提督
戦後、ハンガリーに帰国
1919(大正8)年 クーンの社会主義政府に対する反革命を指導 政権を奪取
ハンガリー国民軍総司令官
1920(大正9)年 国会で摂政に任命される
1921(大正10)年3月 前オーストリア皇帝でハンガリー王でもあったカール1世が復位を企図 これを拒否
 10月 再度カール1世の復位を拒否
1938(昭和13)年 ミュンヘン協定 トリアノン条約でチェコスロバキアに割譲したスロバキアの一部をとりかえそうとするが、失敗
ナチス・ドイツに援助を求める
 1938(昭和13)年 第1次ウィーン裁定 スロバキアの一部を獲得
 1940(昭和15)年 第2次ウィーン裁定 ルーマニア領のかなり広い地域(トランシルバニア北部)を獲得
 これらの見返りに、ハンガリーは第2次世界大戦でドイツ、イタリアに味方することを承諾
1942(昭和17)年 ドイツの敗戦を確信 連合国との単独講和を企図
1944(昭和19)年 ドイツ軍、ハンガリーを占領 親ドイツ政権を樹立
 10月 ソ連軍、ハンガリーに侵入 ソ連との停戦を企図するがドイツ軍に逮捕され、特別列車でドイツに連行される
終戦時、バイエルンでアメリカ陸軍に逮捕される
1945(昭和20)年 釈放
1951(昭和26)年 ポルトガルに移住


114 :アンチネスク:03/06/14 21:06 ID:OaHF2hI8
>113 ありがとうございます

115 :12:03/06/14 23:19 ID:Jer/U87g
↓こちらのスレもおもしろそうですね。私には参加できるだけの知識がないけど(でも
 しちゃうかも・・・)

「もしハプスブルク帝国が崩壊しなかったら」
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1044550464/150
「ハンガリーについて」
〃            1011292528/150
「トラップ一家物語を軍事的に考察するスレ」
http://hobby3.2ch.net/test/read.cgi/army/1054126496/150

116 :12:03/06/14 23:36 ID:Jer/U87g
失礼しました。

「ハンガリーについて」
http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1011292528/150

117 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/17 02:34 ID:???
 ゾルゲ関連について,もう一つ.

 1920年代,ゾルゲが上海で活動していた頃,彼と接触していた
KGB(当時はNKVD)エージェントの一人が,イワン・ヴィナロフという人物ですが,
彼はその後,1940年代(ゲオルギー・M・ディミトロフ時代)には
ブルガリア諜報機関の長となっています.

 ゾルゲとは関係ありませんが,当時のブルガリアはNKVDの浸透をかなり
受けていたようで,イワン・スメタノフ駐ソ・ブルガリア大使もNKVD側の
工作員として抱きこまれていたり,大使館の暗号通信も全て解読されていたり
しています.



118 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/18 23:58 ID:???
アントネスク(Ion Antonescu 1882-1946)

ルーマニアの軍人、政治家。

第一次大戦中の国土防衛戦で名を挙げ、参謀総長になる。
一方で余り国民に人気のない国王カロルII世が外交で失政を重ね、ソ連、
マジャール、Bulgariaに領土を喪失し、国内情勢が不穏になったときに、
カロルII世の一発逆転を狙って、首相に任命される。
当時、大天使ミカエル軍団というファシスト団体の軍事部門、「鉄衛団」の
行動がナチスの支持を得て顕著になり、第一次大戦と同様、何としても中立を
維持したい国王は、将軍の支持の下でそれを弾圧するつもりだったが、1940年
9月、ナチスドイツの教唆により、鉄衛団がクーデターを決行。
国王カロルII世を退位させ、皇太子ミハイを擁立し、国内の実権を握る。、

但し、中立政策は大きく転回せざるを得ず、ドイツの同盟を強化する必要があり、
一時同盟を組んだ「鉄衛団」を切り捨て、弾圧。
1941年6月の独ソ戦勃発に際し、ベッサラビア、ブゴヴィナ回復を旗印にソ連に
宣戦布告、12月に米国に宣戦を布告した。
しかし、国内では民族農民党を中心に反戦運動が繰り広げられ、1944年8月に
ソ連のRomania侵攻と同時に、国王とその側近勢力のクーデターにより、政権は
瓦解。
同時に、将軍は逮捕。
1946年、戦争犯罪人法廷にて、親ドイツ派の戦犯として死刑を宣告され、執行される。

119 :12:03/06/20 00:33 ID:KfyjE93M
 〜111の続きです〜
海防戦艦部隊の対イタリア作戦基地はトリエステにありましたが、2番艦のウイーンは
、12月10日同軍港内に停泊していたところを強行突入してきたイタリア魚雷艇(MAS)
の攻撃を受けて沈みます。
対する二重帝国海軍は、喪失したウイーンの代わりに戦艦アルパードを急きょポーラ
からトリエステに移動させ、同19日には戦艦アルパード、海防戦艦ブダペスト、軽巡
洋艦アドミラル・スパウン、駆逐艦6隻、水雷艇16隻、掃海艇5隻より成る艦隊を派遣
して再度ピアヴ川河口のイタリア軍陣地を砲撃しました。

話は変わりますが、第一次大戦時のルーマニア軍は二重帝国のドナウ川河川海軍と戦
火を交えたようですが、「実際にどの場所でどのような戦闘があったのか?」につい
ては疑問が・・・。ドナウ川は二重帝国とルーマニアとの国境沿いには流れていなく、
ブルガリア・ルーマニア国境に沿って流れているので、二重帝国の河川軍艦はここま
で進出してきたとか?


120 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/20 23:33 ID:???
>119
二重帝国当時ベオグラードのもう少し先のドナウが90度屈曲してる
あたりまでハンガリー王国領でドナウがセルビアとの国境でした。
このへんで河川軍艦同士での河戦(海戦じゃないよなぁ・・・。)
があったのではないでしょうか。

しかし、広いとはいえ中国の河川みたいな幅はないので岸から
狙い撃ちされたら河川軍艦なんてイチコロのような気がするんで
すが・・・。

121 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/21 00:55 ID:???
 ルーマニア諜報機関の歴史を見つけました.
http://www2.odn.ne.jp/~cae02800/romania/intellhistory.htm

>>120
 水戦……,あ,これじゃ,「二式」「強風」か…….

122 :12:03/06/22 00:30 ID:ePhzz7Ur
>120
どうもありがとうございます。一次大戦のルーマニア軍というと、どうも二重帝国領内
のトランシルバニアを攻めた陸軍のことしか頭になかったので、河軍のとこには目がい
ってなかった。ギシュクラ様のおっしゃることは大いにありえたのではと思います。(
当時のセルビアはすでに二重帝国の占領下に置かれていたし・・・・)

でも第一次大戦時のルーマニア河軍はどんな艦艇を保有していたんだろう?二重帝国の
ドナウ川河軍を含めて前スレとネットで調べさせていただきます。

123 :アンチネスク:03/06/22 01:35 ID:EfOywn55
>>118
ありがとうございます。あとアントネスク生まれた都市や年代をできれば
教えていただきたいのですが・・・誰か教えてください。お願いします。


124 :アンチネスク:03/06/22 01:45 ID:EfOywn55
すいません123ですが書き忘れていたので・・・。
ブルガリアのボリス三世について誰か詳しい方、彼の経歴について教えてください。
お願いします。

125 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/22 02:49 ID:???
>123
「東欧を知る事典」より
1882年 ピシュティに生まれたとあります。
フランスで軍事訓練を受ける。
第一次大戦時はルーマニア軍に従軍する。
1937年ルーマニア軍参謀長となり、40年には元帥。
同年国王カロル2世によって首相に任命されるが、逆に
国王に対し独裁権の放棄を要求、カロル2世を退位させ
その子ミハイを王位につかせる。
当初「鉄衛団」指導者シマHoriaSima を副首相に起用
し提携するが、41年1月にはヒトラーの合意のもと鉄
衛団を粉砕、軍事独裁政権を確立し、ルーマニアを日独
伊三国同盟に加盟させ対ソ宣戦を行う。
44年8月政権倒壊後に逮捕され、44年6月に戦犯と
して処刑された。

だそうです。眠い人さまの解説とダブってますがご参考
までに。

126 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/22 12:01 ID:???
>125
ギシュクラ・ヤーノシュ殿、フォローサンクスコです。
ラテン語系のRomania語は余り、得意でないので。

>124
ボリスIII世((БорисIII)1894〜1943:在位1918〜43)
1894年生まれ。
Sachsen-Coburg-Gotha家のFerdinand I世と、Palma-Bourbon家のMarie Louise
との間に誕生。
初代Bulgaria国王だったFerdinand I世が、1918年に敗戦の責を負って退位した後を
受けて、国王に即位。
当初は、農民党などを立てて、民主的政治を心がけるが、戦後の混乱が拡大するに
連れて、政権と対立。
1923年 将校の反乱によるクーデターを支援。
     9月に共産主義者の反乱が起きるがこれを鎮圧。
     一気にモーナルヒスト(君主制主義者)の地位が向上。
1925年 Sofiaの聖ネデリャ教会で、国王ボリス3世の暗殺を狙った爆弾テロが起きるが未遂に終わる。
1934年 一時民主主義者に政権を明け渡すが、保守派将校組織ツヴェーノによるクーデターを裏から画策。
1935年 ツヴェーノ指導者 ゲオルギエフ大佐失脚により、独裁体制を構築。
1940年 三国同盟加盟により、Romaniaから領土獲得。
     第二次大戦に際しては、“象徴的戦争”を宣言
1941年 英国に宣戦を布告。12月に米国に宣戦布告。
     マケドニアを併合
1943年 ヒトラーと会談後、急死。
     SimeonII世が6歳で跡を継ぐ。
     (今のSimeon Saxe-Coburg-Gothaで、Bulgariaの首相)
なお、妻Joannaは、Savoia家のItaly国王、Vittorio Emanuele III世の娘です。

127 :アンチネスク:03/06/22 13:54 ID:EfOywn55
>>125,>>126
どうもありがとうございます。大変、勉強になりました。今、自分は第二次世界大戦中の
国家指導者について調べてるのですが、彼らについての資料があまりなくて・・・。
これからも東欧指導者について、質問する事がたびたびあると思いますが、
そのときは、よろしくお願いします。

128 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/22 15:31 ID:???
>127
参考になりそうな本を挙げておきます。
「東欧を知る事典」平凡社 
「小独裁者たち 両大戦期間の東欧における民主主義体制の崩壊」 法政大学出版局
「ハンガリー史」恒文社→そうとう古い本で内容に?がつくところがあります。
「ルーマニア史」恒文社→同上で、内容の?はハンガリー史以上。絶版になってます。
「ハンガリー・チェコスロバキア現代史」山川出版社
「東欧のナショナリズム」刀水書房
拙宅にあるのはこのあたりでしょうか。
個人的にはハンガリーがオスマントルコに敗北する1526年あたりまでが興味の範囲
なんで、あまりお役に立てないと思いますが・・・。

129 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/23 00:17 ID:???
>ギシュクラ・ウール

 あまり軍事とは関係ない話なんで恐縮ですが,
これ↓を作っていて,
http://yomi.kakiko.com/mlt/faq/faq07h.htm

この745に,ボールペンを発明したにも関わらず,特許を盗まれた
格好のハンガリー人の話が出てくるんですが,詳しい話を知りません?

130 :アンチネスク:03/06/23 23:54 ID:BlF3pQ0y
誰か、クロアチアの指導者パヴェリッチについて詳しい方、彼の経歴に
ついて教えてください。クロアチアは東欧ではなく中欧に属するような気も
するんですが・・・・教えてください。

131 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/24 00:11 ID:???
>>130
パヴェリッチに関しては、此処よりも、世界史板のこのスレの方が
専門かと思いまする。

http://academy2.2ch.net/test/read.cgi/whis/1043743145/

牡蠣の話はなかなかグロいですが。

132 :アンチネスク:03/06/24 00:21 ID:C6kdPc0g
>>131
一応、以前にそのスレを調べてみたんですが、あまり彼経歴についての情報が
書き込まれてなくて・・・・。それで、ここに書き込まさせていただきました。


133 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/24 00:25 ID:???
>132
にゃるほろ。
今宵は、ちと精根尽き果てているので、ギシュクラ・ヤーノシュ殿の登場を
待つか、明日まで待って下しい。

134 :アンチネスク:03/06/25 17:21 ID:CJUS6jh/
一応、パヴェリッチについての質問を130で示されたスレッドにも
書き込んでおきました。
で、新たな質問なんですが、第二次世界大戦中のスロバキアの指導者って
誰なんですか?詳しい方、当時のスロバキアの指導者の名前と彼の経歴に
ついて教えてください。お願いします。

135 :名無し三等兵:03/06/25 23:48 ID:???
>>134
ティソっていう人です。

136 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/06/25 23:54 ID:???
>134
手元の資料はハンガリー王国関係のものばかりなんで現代は手薄です。

パヴェリッチについてはの手元資料は
「バルカン世界」ジュルジュ・カステラン著 彩流社
「ユーゴスラビア史」スティーブン・クリソルド著 恒文社
「クロアチア」ジョルジュ・カステラン著 文庫クセジュ

ぐらいしかありません。
ざっと見たところ
1889年に生まれた
1928年にイタリアへ移住し、イタリアファシストの援助により
「ウスタシャ」を結成。
枢軸軍のユーゴスラビア侵入後ユーゴへ戻り「クロアチア独立国」
の指導者としてセルビア人・ファシスト敵対者・ユダヤ人の虐殺
を行った。戦後、戦犯として死刑を宣告されたがアルゼンチンに
亡命、1955年マドリードで死亡。

という程度の記述でした。
あちらのスレの方の方がはるかにお詳しいでしょう。

スロバキアの指導者は1938年まではアンドレイ・
フリンカ神父、その死後はヨーゼフ・ティソだと思い
ます。
 

137 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/25 23:57 ID:???
>134
パヴェリッチは向こうに任せて…。

Slovakiaの大統領は、1939年10月(つまり、Czechoslovakia解体の翌日)に
就任したヨゼフ・ティソ(Jozef Tiso)です。

彼は1887年Bratislava生まれ。
1932年にBratislavaのCatholicの大僧正となる。
そして、Slovakia独立を求めるSlovakia人民党の指導者となり、1938年、前の
指導者である、Andrej Hlinkaが死亡した後、その党首に就任。
ミュンヘン会談直後の1938年10月6日、Slovakia人民党により、Slovakiaの
自治が宣言され、その一派は公然と、Czechoslovakiaからの独立を求めます。
1939年3月13日に、ヒトラーはティソを呼んで、独立を宣言するように扇動し、
彼はそれに応えて3月14日に州議会で独立を宣言しました。

こうして、Slovakiaは独立し、共和国となります。
しかし、独立直後にドイツと保護条約を結び、ドイツの保護国となってしまっています。

1939年9月30日にCzechoslovakiaが正式に解体されると、翌日にはティソは大統領
に就任します。
任期は7年、そして、「指導者」の称号も得ます。
1940年11月24日に三国同盟に加入し、1941年6月24日に対ソ宣戦。
1942年には、ユダヤ人の国内からドイツへの移送を開始します。
ティソは、Catholicの枢機卿(だったかな、兎に角聖職者)だったので、Vaticanから
抗議が来ると、それを一時中止します。
1944年8月にSlovakia蜂起が起き、全土をドイツ軍の占領下に置かれ、彼の政府は
終焉となります。
そして、東からソ連軍が攻め込んできて、1945年4月に米軍占領地にて投降。
戦犯としてCzechoslovakiaに引き渡され、戦争犯罪人として1947年に死刑となります。

138 :アンチネスク:03/06/26 00:57 ID:pOyf7jG6
>>135,>>136,>>137
ありがとうございます。これで、東欧の第二次世界大戦中の枢軸国指導者
についての経歴を知ることができました(ハンガリーのホルティ、ルーマニア
のアントネスク、ブルガリアのボリス三世、スロバキアのティソ、クロアチア
のパヴェリッチ・・・もし、ここに書かれた以外の東欧枢軸国があれば教えてください)
みなさんの協力に感謝します。

139 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/26 10:48 ID:???
>138
枢軸国が三国同盟に加盟した国という意味であれば、Montenegro、Albania
もその仲間に入ります(いずれも、Italyの保護国ですが)。
後、Yugoslaviaも、枢軸国っちゃぁ枢軸国です。

Yugoslavia政府は元々ドイツ寄りで、1941年3月に三国同盟に加盟します。
しかし、直後に軍部(こっちは連合国寄り)のクーデターで政権が転覆し、直後に
Bulgaria、Hungaryなどの侵攻を招き、最終的にはドイツ軍の介入を受けたりして
います。

140 :アンチネスク:03/06/26 17:35 ID:pOyf7jG6
>>139
枢軸国をそう定義してしまうと「日独伊三国同盟に参加していないのに
連合国に宣戦布告し交戦したフィンランドやタイが枢軸国ではない」と言うことに
なってしまいます。また、ユーゴスラビアを枢軸国にしてしまうと「連合国に
与えたダメージより、枢軸国に与えたダメージの方が大きい枢軸国」と言う、
かなりおかしな事になってしまうんです。なので、枢軸国を決めるのに
日独伊三国同盟に加盟していたかどうかはあまり参考にならないんです。
それで、質問なんですがアルバニアやモンテネグロは連合国に宣戦布告
した事があるのですか?もし、あるのならば当時のそれらの国々の指導者
の名前と彼らの経歴について教えてください。誰か詳しい方、教えてください。
よろしくお願いします。

141 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/06/26 22:01 ID:???
>140
AlbaniaとMontenegroは、基本的にItalyと同君連合を構成しています。
従って、Italyが宣戦布告をすると自動的に戦闘に巻き込まれる訳です。
厳密に言えば、それらの国の指導者は、Italy国王たるVittorio EmanueleIIIと
言えます(奥方は、Njegos家(Montenegro国王家)のHeleneですので、
Montenegroについては彼に正当な継承事由がある訳です)。

例えば、ItalyがGreeceを攻撃した出撃基地はAlbaniaだったりします。
まぁ、満州を想定してみて下さい。

142 :アンチネスク:03/06/27 01:49 ID:vtbZU8qO
>>141
なるほど。勉強になりました。今まで、大戦中のアルバニアの事を、単なる
イタリアの植民地だと思っていたので・・・。
それで思ったんですが、たとえ、それらの国の王位をイタリアの国王である
ヴィトリオ・エマヌエーレ三世が受け継いだとしても、やはり実質的な指導者は
イタリアのベニト・ムッソリーニに、なってしまうような気がするのですが・・・。
(大戦中、日本の実質的指導者の東条英機と形式的指導者である昭和天皇の関係のように)
それらの国々には実質的な首相や元首はいなかったのでしょうか?
それとも、やはりヴィットリオ・エマヌエーレ三世こそがそれらの国の、
実質的指導者なんでしょうか?
彼以外の指導者がもし、いたのなら、彼らについて詳しく教えてください・・・。

143 :名無し三等兵:03/06/27 06:07 ID:???
1946年9月に処刑されたスベロニアのLEON RUPNIK将軍は?


144 :アンチネスク:03/06/28 00:39 ID:GW0fozgl
>>143
スロベニアって当時独立していたのですか?・・・なんだか当時のユーゴスラビア
のことがわからなくなってきました・・・。当時のユーゴスラビアに詳しい方、
当時のユーゴスラビア情勢について教えてください(どこが独立していたとか・・。)。
お願いします。

145 :名無し三等兵:03/06/28 02:41 ID:???
>144
少しは自分で調べてはどうかな?
図書館あたりに行けば東欧の各国史ぐらいあるだろう?
聞いた知識は身につかないですぞ。

146 :アンチネスク:03/06/28 02:59 ID:???
>>145
もうしわけありません。我が家の近くに図書館がまったくないんです・・・。
(つい最近まであったのですが、閉鎖されてしまって)。
でも、ご指摘の通りですね。これからは何とかして自分の力で調べていきます。



147 :名無し三等兵:03/06/30 22:30 ID:???
>>144
スロベニアは独立して無かったはず。民族運動は強かったけど。
ユーゴが占領されると、その地域性が災いしてイタリアとドイツに真っ先に
一部の領土を割譲された。
LEON RUPNIK中将はユーゴの元将軍でドイツ/イタリア軍の傀儡である
約1万〜1万5千のスロベニア国家防衛隊を率いていた。



148 :名無し三等兵:03/06/30 22:32 ID:N6eVhkIz
アンチネスクさんは本屋へ行きなさい

149 :名無し三等兵:03/06/30 22:35 ID:/SlRwN4F
>>マンガだけど『石の花』はどうか?

150 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/06/30 22:56 ID:???
>149
 歴史背景はともかく,Ju-52で爆撃したりしているので…….

 やはり,ギシュクラ・ウールが挙げた本をまず買うのがよろしいかと.
 ネット通販など利用すれば,古書を安く入手することも可能です.

>アンチネスク・ウール

 近所に公民館で,本の貸し出しをしているようなところがあるかどうか,
移動図書館が近所にやってきてはいないかどうか,市役所等に問い合わせしてみるのも,
一つの方法です.
 現在はたいてい,各図書館で相互に貸し出す本を融通しあっている(相互貸借)ので,
「公民館の図書室」や移動図書館レベルでも,県内の図書館にある殆どの本を
借り出すことができるはずです.

151 :アンチネスク:03/07/01 01:46 ID:U/whEeDy
>>145、>>148
先日、少し遠出をして図書館に行って来たんですが・・・。
特別休館日だったので閉ってました・・・。で、本屋に行って
いろいろな資料を立ち読み(親切にも立ち読み専用のコーナーがある)
してみたのですが・・・東欧関係の本があまりおいてなくて・・。
しかし、2件めの本屋でなんとか「東欧を知る事典」を発見して読んで
みました。でもやっぱり立ち読みは落ち着かなくて・・・・。来週あたりに
もう一度図書館に行ってこようと思います。


152 :名無し三等兵:03/07/01 20:28 ID:???
アンチネスクにユーゴの事を教えてやれよ。可哀想に。

153 :名無し三等兵:03/07/03 18:13 ID:pUDn/6of
かばちんage

154 :*********************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************************消失してる154を補填:03/07/09 01:27 ID:???
154 名前:12 投稿日:03/07/05 00:34 ID:Kgq+3d0M
  ・・・・気分転換によかったら・・・・
第一次世界大戦勃発の翌1915年、ドイツ、オーストリア・ハンガリー二重帝国と三国同盟
を結んでいたイタリアは、当時オーストリア領であったダルマチア(現クロアチア領)、
アルバニアなどの領有を狙い、5月23日に対オーストリア宣戦を行った。イタリア海軍は
主力となるタラント軍港にド級戦艦と前ド級戦艦、アドリア海に面したブリンディジ港に
は巡洋艦と駆逐艦を配備し、またベネチアには前ド級戦艦2隻、装甲巡洋艦4隻を中心とし
た艦隊を進出させ、さらに英仏から派遣された艦艇も加えオトラント海峡の封鎖を行った
。6月5日、イタリア海軍は仏駆逐艦4隻に護衛された巡洋艦4隻を派遣してダルマチア南部
のラグーサ(現クロアチア領ドブロブニーク)・カッタロ(現モンテネグロ領コトル)間
の鉄道を砲撃し、同日軽巡洋艦ニノ・ビクシオと仏伊駆逐艦4隻もリッサ島を砲撃した。

これに対し、アントン・ハウス提督の指揮するオーストリア海軍は、戦艦の温存策をとり
つつも、一方では軽巡、水雷艇、潜水艦などを活用したTip and run raidsと呼ばれる奇
襲攻撃で敵に被害を与えた。6月9日には潜水艦U4がアルバニア沿岸部で英巡洋艦ダブリン
を雷撃して損傷を負わせ、同17日には装甲巡洋艦サンクト・ゲオルグ、水雷艇14隻がリミ
ニその他のイタリア沿岸を、17・18日にはホルティ・フォン・ミクローシュ提督率いる軽巡
洋艦ノヴァラ、アドミラル・スパウン、駆逐艦4隻、水雷艇4隻がアンコナとリミニの中間
にあるファノとペサロを急襲して打撃を与えた。
また7月7日には、潜水艦U26(独潜水艦UB14がオーストリア艦籍に編入されたもの)が北
アドリア海に出撃していたイタリア装甲巡洋艦アマルフィを撃沈し、18日には潜水艦U4が
南ダルマチアのラグーサを砲撃していた同装甲巡洋艦ジュゼッペ・ガリバルディを沈めた。
(オーストリアの潜水艦部隊はドイツの援助で強化され、大戦中に新たに20隻(計27隻)
が就役した)一方オーストリア側は8月8・13日の戦闘で潜水艦U3とU12(艦長エゴン・レ
ルヒ)を失っている。


155 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/07/11 00:20 ID:???
最近、何度も鯖は飛ぶし、ログは飛ぶし…。

てな訳で、トリビア的保守カキコ。

信じられないけど、マジャールは世界で最初にTurbopropEngineを実用化した国でした。
作ったのは、George Jedrassikと言う人で、ガンツ車輌工場の技術者だった人。

1932年に彼はまず、100hpEngineの設計を行い、それは1937年に試運転にこぎ着けて
います。
そして、その間、彼は次のCs-1Turbopropを設計しています。
これは、13500rpmで、1000hpを発揮する予定だったそうです。

このEngineは、鋳造製インレット・ハウジング、ギア比0.119の減速ギア、2個のベアリング
で支持され、大口径中空シャフトで結合された、15段のコンプレッサーと、11段のタービン、
折れ曲がった逆流式アニュラー型燃焼機、空気冷却式タービンディスクと延長翼部を有する
ブレードなど、現在のものと余り変わらなかったらしいです。

Cs-1は1940年8月に試運転され、このエンジンは、国産のX/H(RMI1)双発戦闘爆撃機の
動力にも採用されました。
もし、対ソ宣戦が無ければ、1942年くらいには、Turboprop軍用機が空を舞ってたかもしれ
ません。

1941年に、この野心的な計画は、資源集中の観点から中止させられ、ドイツのDB605エンジンの
供給と、Me-210のライセンス生産が決まったのです。

156 :名無し三等兵:03/07/11 10:29 ID:+Owm7TZu
チェコってなにげに国産ライフル作って海外とかでも広く使われていない?
ソ連の侵略以来軍事産業は地に落ちた感じがするが・・・

157 :名無し三等兵:03/07/11 11:04 ID:NDDI/TOv
>>156
スコダ社の戦車とかは知らないのか?

158 :名無し三等兵:03/07/11 12:24 ID:???
>>156
拳銃など戦後もベストセラーになっているものがある.

159 :156:03/07/11 22:19 ID:???
いやプラハの春以降軍事を含む産業という産業が衰退したのは明白。
ソ連としては反乱を抑えるためにもなんとしてもチェコの軍事産業を制御したかったんだろう。
残念な話だ。ところで最近のチェコではなんか動きはあるのか?

160 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/12 14:51 ID:Lg+ZfeX1
>155
ガンツ社は確かディーゼルエンジン?かなんかでも有名だったような記憶が
あります。かなり技術力は高い会社だったと思います。
光学器械のガンマ社も高い技術力を持っていました。
戦後、幻の1眼レフカメラ「デュフレックス」を開発しましたが、確かソ連
から横槍が入ってカメラメーカーは東独に集中させられたと聞きます。

>156
オートバイのレースの世界でもチェコのヤワとCZは相当に強力なメーカー
でしたが、プラハの春以降海外参戦が出来なくなりGPから撤退せざるを
得なくなってしまいました。予算的な問題もあったのでしょうが、野心的な
マシンを開発していただけに残念なことでした。
モトクロスとスピードウェイの世界ではチェコのメーカーはその後も有力で
したし、ラリーの世界ではシュコダ社が参戦を継続、タトラ社もパリ・ダカ
ールラリーのカミヨン(トラック)部門の有力なコンテンダーです。
軍事関係でなくてすみません。


161 :名無し三等兵:03/07/12 15:29 ID:bNlTzjnA

私も脱いでます♪探してみてね♪

http://endou.kir.jp/betu/linkvp/linkvp.html

162 :消印所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/07/13 01:44 ID:???
>>155
 「実用化」ということは,発明は別の中の人ですか?

163 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/07/13 14:07 ID:???
>160
ガンツ社は鉄道車輌と共に、発電機、蒸気機関のメーカーでもありましたから、発電用のタービンなんかも製作していたの
ではないかなと思います。
スレ違いですが、1909年に関西鉄道にガンツ社製蒸気動車という代物が輸入されていたらしいですね。
日本では使いこなせなかったようですが。

>162
軸流式タービンエンジンそのものは、1922年にフランスのマキシム・ギヨームが特許を取得していますし、
遠心式タービンエンジンでは、英国のフランク・ホイットルが特許を取得していますな。
更に遡ると、1877年にドイツのヨゼフ・バルトハイムが可燃性ガスと空気を混合させた際に噴流が発生
することを確認し、それを駆動源としてタービンを回す特許を取得していますね。

ついでに、世界最初にタービンエンジンを搭載した航空機は、1909年にフランスにいたルーマニア人、
アンリ・コアンダーが作った一葉半式の航空機で、これにタービンエンジンを搭載しています。
一応、浮揚はしたそうです。
こいつは、Caproni C.C.1の様に、機首に大口を開けて、ピストンエンジンを駆動させて、空気を取り込み、
ダクト内で空気を圧縮し、その噴流を推進力として使用しようと言う、一種のエンジン・ジェット機でした。

164 : ◆z3kTlzXTZk :03/07/13 18:38 ID:???
>163
köszönöm szépen (Thanks!)



165 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/13 20:26 ID:XsvhRSo9
>163
関西鉄道というと今の関西本線ですな。
昔、おぼろな写真を見たことがあります。
客車に蒸気機関車がくっついたみたいなもんです。
国産のヤツが明治村に現存してます。

日本の鉄道に入った機関車はドイツ・イギリス・
アメリカが主で、軽便鉄道等でフランス・ベルギー
製を購入した例があります。
ハンガリー製というのはこれぐらいではないでしょ
うか。

166 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/14 00:57 ID:yjSn1AlL
前スレ補足
ガンツ式の蒸気動車は明治村の国産のと姿形は異なります。
あと、ガンツ社は今も健在でMAVの車両や路面電車・地下鉄
の車両を作ってます。

167 :所沢 ◆z3kTlzXTZk :03/07/14 03:17 ID:???
 発見.

http://www.fotw.net/flags/at-hu~km.html

168 :山崎 渉:03/07/15 11:59 ID:???

 __∧_∧_
 |(  ^^ )| <寝るぽ(^^)
 |\⌒⌒⌒\
 \ |⌒⌒⌒~|         山崎渉
   ~ ̄ ̄ ̄ ̄

169 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/15 22:12 ID:hqOaehP2
また貴様か!

170 :Su-47信者(狂信的):03/07/16 04:15 ID:???
ただいま戻りました。
って誰か私の事覚えてる人いますか?

171 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/07/16 07:19 ID:???
>170
此処にいますよ。
オツカレチャーン。

172 :スレ立てた人:03/07/16 21:39 ID:6flOZCbm
ナゼかこのスレ、かちゅーしゃでは見れないんですけど?見れるようにするにはど
うしたらよいですか?

173 :172:03/07/16 21:54 ID:6flOZCbm
見れるようになりました。

174 :ギシュクラ・ヤーノシュ ◆yvX9GqWfKI :03/07/16 23:47 ID:E5iNmtdC
>170
無事のご帰還なによりです。
土産話をお聞かせください。

175 :消印所沢@FAQ屋 ◆z3kTlzXTZk :03/07/19 00:53 ID:???
>>170
 お疲れ様でした.覚えていますとも.
 ウィーン包囲中のオスマン軍の砲弾に跨って飛んでいった方でしたよね?

>>174
 世界史板では質問にお答えいただき,有難うございました.

 ところで上レスのホルティ略歴を見ると,カール1世の復位を二度拒否していますが,
摂政であるところのホルティに,そんな権限があったわけですか?
 それとも,カール1世が国民に不人気だったと言うことですか?

176 :眠い人 ◆gQikaJHtf2 :03/07/19 21:21 ID:???
今月の航空ファンにエストニア空軍が取り上げられていますた。
久々に買ってまった。

>175 消印所沢殿
マジャールにとって、王制の維持は必要不可欠の状況でした。
即ち、王制を維持することで、二重帝国時代の領土要求に対する正当性を持たせる
事が出来る、と、支配層は考えていた訳です。

本来、赤化したとしても、フランスのフォッシュ首相は可成り好意的で、スロヴァキア
からマジャール赤軍が撤退すれば、ルーマニア軍が占領したトランシルヴァニア地方
の還付も考慮に入れていたのですが、クン・ベーラ首相が利害得失を考えずに居座った
ために、フランスとしても最後通牒を出し、ユーゴスラヴィア、ルーマニア、チェコスロヴァ
キア軍によるマジャール赤軍の掃討を行い、報復的措置として、領土を周辺諸国に割譲
した訳です。
その喪失した領土を返還させる為の方便としては、中世の条項におけるマジャール法で、
「聖イシュトヴァーンの聖なる王冠の領土」であると言う基礎が必要でした。
即ち、王国を止めて、共和国になると言うことは、領土放棄と見なすと判断した訳です。

1919年の赤色政権崩壊時、反革命政府は、一時的に王国はハプスブルク家の一族、
ヨーゼフ大公を摂政に選出しています。
しかし、反革命政府は1920年1月に実施した選挙結果だけで、王政復古を保証する旨の
宣言を行い、これが、協商国の心証を害して、結果的にトリアノン条約の過酷な処分に
繋がった訳で、ハプスブルク王家の復帰は、本来はチェコスロヴァキアの様に戦勝国側
に立っていたマジャールを敗戦国に落剥させた思いが指導層にあり、また、ハプスブルク
家の復辟は、協商国、周辺諸国の脅威に映ったため、その外部からの圧力(マジャール
赤色革命の転覆は周辺諸国軍隊によるものを想起されたし)により、最終的にカール国王の
廃位に繋がった訳です。

177 :わんにゃん@名無しさん:03/07/22 13:24 ID:???
ハッキリ言ってアメリカなどの多民族国家では黒人の方がアジア人よりもずっと立場は上だよ。
貧弱で弱弱しく、アグレッシブさに欠け、醜いアジア人は黒人のストレス解消のいい的。
黒人は有名スポーツ選手、ミュージシャンを多数輩出してるし、アジア人はかなり彼らに見下されている。
(黒人は白人には頭があがらないため日系料理天などの日本人店員相手に威張り散らしてストレス解消する。
また、日本女はすぐヤラせてくれる肉便器としてとおっている。
「○ドルでどうだ?(俺を買え)」と逆売春を持ちかける黒人男性も多い。)
彼らの見ていないところでこそこそ陰口しか叩けない日本人は滑稽。

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